渋谷。
街は夕暮れ時のオレンジ色に包まれていて、ひとつ、ふたつと明かりが灯り始めていた。 駅に向かう人々の群れにまぎれながら、ずっと考えていた。 - 今日はいい試合だった。 全身が心地よく気怠い。 点差は開いて負けてしまったが、本当に今日はトライが欲しかった。 後半、せめて1トライだけでも返そうと、恐らく数年ぶりにチーム全員が一体となった時間帯があった。 あの瞬間のために未だにグラウンドを離れられないと言ってもいい。 久しぶりの感覚、チームの一体感であった。 考えてみたら学生時代は体力、気力ともにもっと充実しており、 毎試合毎試合、いや、シーズンを通してあの集中力、緊張感、一体感が持続していた気がする。 思えば、負けるたびに深く苦しみ、そして幸運だったことに、いつも崖っぷちでは勝利することができ、涙した。 たぶん、あの当時の「感情の異常なまでの起伏」はグラウンドにいる15人だけでなく、 先輩、後輩試合に出ていない部員達、全ての思いが一体となり、増幅されていたからなんだろう。。 ふと京都ですごした、あの学生時代が恋しくなった。 - そうだ、京都行こう。 そうは思ってみたものの、現実は厳しく、財布にもそんな金はなかった。 何もJRに乗って行ける京都だけが京都ではない。 もっと自由に心を解き放ち、違う枠組みで考えてみるのだ。。 ラグビー、心地よい気怠さ、夕暮れ、、、、そうだ。。 - 王将へ行こう 渋谷のガード下には、何故か餃子の王将がある。 学生時代、試合を終え京都市内に帰ってきたら、まず飯、そして風呂であった。 当時も王将ばかりに行っていたわけではないが、何となく懐かしい。 勿論、天一という手もあるが、あれは食事に行くところではない。 当時、「こってり、大(大盛り)、学生(50円引)」は、寝る前の夜食であった。 (「ハイカラと牛丼大」という手もあった。こっちは「なか卯」。) 店の前まで行くと、何故か人の列が出来ている。 よく見ると学生と思われるカップルが目につく。 - 世もデフレなのか。何も渋谷に来て王将に来なくても。。最近の若い奴は。。 さっきまで、学生気分だったのが嘘のように既にオヤジの視線になっていた。 そのままの気分で、店に入りカウンターへ座り、 「オヤジぃっ、ラーメン、ライス、餃子、ビール一本!」 と言いそうになったが、寸でのところで我に返った。 みかちゃんによると、新しいことに興味を失うのは、既に老人の始まりだという。 - やはり、一応メニューを見た方がいいよなあ。。 まず定食を見た。 様々な定食があり、様々な角度から検証、シミュレーションを行ったが、ここは餃子の王将。 まずは、やはり「餃定(餃子定食)」である。 これでは、先ほどメニューを見ずに餃子を頼もうとしたことから進歩がない、 そう思われる方もいるであろう。 しかし、目先の結果、行動が同じでも、その思考過程が大事である。 目標(おいしい食事)に到達するための戦略オプション(定食の種類)を全て検討しつくした上で、戦略(定食)を決定する。 このプロセスが、その次の判断(次の一品)を助け、中長期的には結果(食事に満足したかどうか)は大きく異なる。 この戦略思考が大事である。 コンサル会社の人がそんなことを言っていたなあ、、と考えながら いつもの「餃定」を選んだ自分を納得させる。 問題は次の一皿である。 学生時代なら迷わず、「かに玉丼(大)」である。 しかしいつも炭水化物の取り過ぎと怒られている俺としては、次はおかずだけ、単品で流したい。 八宝菜、麻婆豆腐、野菜炒め、青椒肉絲、、、 ふと、後ろに視線を感じた。 振り返ると、誰もいない。が、 目線を少し上げると 「かに玉、セール 50円引」 のポスターが俺を静かに見つめていた。 「かに玉」単品は、当然「かに玉丼」より高い。(同じ理由で麻婆豆腐は麻婆丼より高い) - かに玉だな。。 運命とはこういうものだ。 紅葉で有名な京都-南禅寺永観堂には、「みかえり地蔵」と言う非常に珍しいお地蔵さんがいる。 昔、南禅寺のお坊さんの夢に地蔵が出てきて、自分の前を歩いていた。 ふと、その地蔵が振り返り「歩みが遅い。もっと早く歩け。」と叱咤激励したというような云われがあったはず。 思えば、今日は京都に思いを巡らし、自分の心の中に京都を探す、いわば「心の旅」であった。 「振り返って」かに玉のポスターを見つけた。 これは京都の見返り地蔵に因縁のようなものを感じたのである。 ところで、「因縁」というのもまた京都では印象に残った言葉であった。 京都駅前、ローソクの様な京都タワーの後ろには、東本願寺がある。その東本願寺とそっくりな寺が少し西へ行った 堀川通沿いにある。西本願寺である。 本願寺だけが強大にならないよう、内部分裂させるために時の将軍?天皇?が東と西に分けた、、、 みたいないわれだったように記憶している。 ここの寺が、「蓮如誕生○○年記念祭」みたいなことをやっており、寺らしからぬ「R」(RennyoのR)の旗を 立てまくり各種イベントをやっていたことがあった。 近くを歩いていたときに、イベントのパンフレットをもらったら、「ゲスト:五木ひろし」と書いてあった。 「何で、蓮如と五木ひろしなんだよ。。」 と彼のコメントを読むと 「私のオヤジが亡くなって、今年で23年、何か蓮如と因縁のようなものを感じます。。」 みたいなことが書いてあった。 23年だったかどうかは定かではないが、とにかくキリの良い数字ではなく何の関連も感じさせず驚いたものだった。 これなら、例えば 愛知万博に対して「私が卒業してから14年、何か因縁のようなものを感じます」」とか、 中国のオリンピックに対して、「私が中国ビジネスを始めたのが、11年前、何か因縁のようなモノを感じます」とか 何にでも使える。 話は長くなったが、結局、「餃定」と「かに玉」を頼んだ。 餃子はいつも通り、大きさ、数ともに申し分無かったが、かに玉には驚かされた。 箸で「かに玉」を刺すと、いつもと感触が違う。 皿の底まで全部「かに玉」だったのだ。 思えば今まで王将とは長い付き合いであったが、かに玉丼でなく「かに玉」を頼んだのは、今回が初めてであった。 思えば俺も偉くなったものだ。 もう学生ではない。。あの甘く切ない日々も遠い思い出だ。。さらば京都。。 「兄ちゃん、かに玉追加ねー」 隣に座った学生が、俺の感慨を打ち消した。 「学生のおまえが「かに玉」を頼むんじゃない!俺はかに玉まで10年以上かかったんだ! まず「かに玉丼」にしろ!」 いつもの俺ならそう思うところであるが、今日は大人として、人生の先輩としての余裕があった。 京都から積み重ねてきた歴史が、俺を変えたのかもしれない。。 - 若いの、まず俺を超えて見ろ! 俺はニャリと笑い、挑戦を受けて立った。 「餃子2皿、あと焼きそばも追加ね。」 今日も満腹満足であった。 席を立つとき、全身に激痛が走り、今日の試合の激しさを思い出した。 - もしかしたら、筋肉痛ではなく、単なる全身打撲なんでは? やはり、昔とは違う、、そう思いながら、俺の心の旅は終わりを告げた。。 #
by nekomekuri
| 2005-01-05 10:00
| ねこかわいがり
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